最後の輝き

めんどくさがりな人が好きなことを書くための日記です。

勝手に期待しないことにする

自分は昔と比べて、あまり人を信用しない人間になってしまった。もちろんありがたいことに、確実に信用できる人は周りにいる。

 数少ないけど、そういう人と一緒にいるときはとてもリラックスできるし、素の自分を出すことができる。

しかしながら、残念なことに、世の中は良い人ばかりではない。平気で人を騙す人がいる。金を借りたまま返さない人がいる。

約束を平気で破る、金を返さないことの罪は重い。気をつけないと、こちらの心が荒んでしまう。悪い人たちはたいてい、『絶対返すから!』と言って金を借りに来る。そのような場合に貸した金が返ってきたことはない。そのくせ、金を借りた本人はそのことをすっかり忘れているのか、数週間後にまた『金貸して!』と言って来るから恐れ入る。

だからもうこういう人たちに期待しないことにした。1度目は、この金は返って来ないだろうな、と思って金を貸す。返って来た場合は次に貸してと言われたときも金を貸してあげる。返って来なければ、それで終わり。次はない。

金を貸す側の気持ちが痛いほど分かるから、俺は絶対に人に金を借りない。返せなかったときのリスクが大き過ぎるから。平気な顔して金を借りようとする人は、その人との関係が終わってしまう覚悟があるのだろうか。結局、都合の良い人だと思われているのだと思う。

期待しないことは別に悪いことではないと思う。はじめから人に期待しなければがっかりすることも少なくなる。他人に期待し過ぎるから失望する。怒りを感じることもあるかもしれない。他人をコントロールすることは不可能に近い。仕事においても、『この人はたぶんやってくれないだろう』と思っておけば、あらかじめやってくれなかった時の対処を大雑把にでも考えておくことができるのでダメージは少ない。

関ヶ原の戦いで、小早川秀秋が裏切ることを想定し、あらかじめ兵の備えをしておいた大谷吉継の心境だ。

「あのあほうにもあほうなりのありかたがあろう。いまあの男を責めるよりも、あの男が二つに一つ、裏切りをした場合の手当てだけは講じておかねばならぬ。」『関ヶ原司馬遼太郎

やっくれなかったことを責めるのではなくて、希望的観測で人を信用してしまった自分を反省する。勝手に期待して、勝手に失望しないように。

「失望というのは、より多くのものを望み過ぎたからするものだ。そういった楽観的な見方はどんな根拠に基づいていたのか?」イビチャ・オシム

ここまでネガティブな感情ばかり書いてしまったけれど、人生、悪いことばかりでもない。全く期待してなかったのに給料を上げてくれる人がいる。全く期待してなかったのに親切にしてくれる人がいる。だから自分も、ほんの少しでも、期待していない人にプチサプライズを与えられるような人間になる。荒れた砂漠に一滴でも水を与えられるように。