最後の輝き

めんどくさがりな人が好きなことを書くための日記です。

高杉晋作についてつらつらと書く

高校時代から大学時代にかけて、司馬遼太郎の小説を集中して読んでいた時期がある。

まずは燃えよ剣新撰組時代の土方歳三はなぜかあまり好きではない。近藤勇亡き後の土方歳三は悟りを開いた心境がカッコいい。その後、竜馬がゆくを一気に読んだ。そこで初めて高杉晋作を知った。司馬遼太郎の作品に登場する高杉晋作は無敵の思考力を持っている。例えば、竜馬がゆくには高杉晋作の以下のような台詞がある。

「おれは父からそう教えられた、男子は決して困った、という言葉を吐くな」と語っていた。どんな事でも周到に考えぬいたすえに行動し、困らぬようにしておく。それでなおかつ窮地におちた場合でも、「こまった」とはいわない。困った、といったとたん、人間は知恵も分別も出ないようになってしまう。「そうなれば窮地が死地になる。活路が見いだされなくなる」というのが、高杉の考えだった。

「人間、窮地におちいるのはよい。意外な方角に活路が見出せるからだ。しかし死地におちいればそれでおしまいだ。だからおれは困ったの一言は吐かない」

「世に絶望ということはない」高杉晋作もそういう意味のことを言い、いっさい絶望せぬ、それが信条であると平素言っていたのを、竜馬はふとおもいだした。

凄まじいメンタリティ。強い性格とはこういうこと、というお手本のようなものだ。事実、高杉晋作は人が付いてこない苦しい中でも少数勢力のみで決起し長州藩内でのクーデターに成功、その後の明治維新のきっかけといってもいい活躍をしている。


高杉晋作の以下のような言葉も好きだ。

「生とは我を労するなり 死とは天の即ち 我を安んずるなり」

これはつまり、「人生に休みなどない」ということだ。

土方歳三と同じく高杉晋作も悟りに近い心境を持っていたと思う。

「苦と楽を差し引きすれば浮世の値段三銭」

人生とはいいことと悪いことが同じくらい起こるもの、という現実。夢見がちな自分にとっては教訓になる。


幕末と言えば技術革新の時代。特にオランダなどの影響を受けて、昔ながらの刀槍の時代から、小銃と大砲と軍艦への転換がトレンドだった。高杉晋作も軍艦の修行をすることに。実際に航海をした際の気持ちが以下。『世に棲む日々』より。

「(なんと、くだらない)とかれは数日で失望した。かれは思想家でもなかったが、技術習得というこの無味乾燥な世界にもむいていなかったのであろう。~中略~海図の読み方など、心になんの昂揚もおこらない課題をやたらにつめこまされたのには、ほとほと退屈した。」

これは現代にも当てはまる話だと思う。現代も技術革新の時代であり、世の中的には子供のうちからプログラミングを学ぶのがトレンドになっている。必修化もされるし。プログラミングをやらないと時代に置いていかれるような危機感すらある。しかし向いてない人には英数字の羅列をキーボードで叩き続けるのは苦行でしかない。自分の適性を無視して流行に乗るのはいつの時代も得策ではない。


他にも『世に棲む日日』に出てくる長州藩政府の首脳に対する、司馬さんの以下のコメントがかなり辛辣。行動を伴わない知識はこの程度の評価しかされないという悲惨さがある。

「所詮は教養人であり、紙に書かれたものが頭に詰め込まれているだけの人物であるともいえる。」

まとまりがない文章になってしまったが、書きたいことを書いた。高杉晋作の魅力は発想力と行動力。つまらない世の中を楽しく変えようという生き方に憧れる。大河ドラマでやってくれないかな~。高杉晋作役は嵐の二宮さんでどうですか?